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天の父の愛により回復したわが家 
by.CGNTV
hit 533 recomend 130 2018-11-07 05:52:11

天の父の愛により回復したわが家       

 

ギタリスト アントニオ古賀

 

私は、1941年2月26日に生まれました。今は77歳です。私が生まれた1941年に、太平洋戦争が始まりました。私の父は、私が2歳の時、ミャンマーに行って戦死してしまい、帰ってきませんでした。ですから、父親のことは写真でしか知りません。父に抱かれた温もりやあたたかみ、父に叱られた怖さ、そういったものは、一切経験していません。その代わり、母親が余りある本当の愛情で、苦労しながら女手一つで育ててくれました。私は一人っ子なので、本当にかわいがられました。しかし、その母も60歳でこの世を去ってしまいました。そういうわけで、私は、天涯孤独の身になったのです。そんな私は、友だちが父親の話をするときなどは、そのたびに寂しい思いになり、取り残された感じがしていました。

ところが、去年のクリスマスの日に、友だちに連れられて、“教会”というところに行くことになりました。その頃の私は根っからの仏教徒でしたので、「クリスチャンというのは、どういうことをするのかな?」と思いながら、友だちについて行きました。私だけでなく、妻と子どもも誘っていっしょに行きました。

教会に行って、私はびっくりしました。まず教会の礼拝堂の中に入ったとき、素晴らしい何か言葉に言い表せないものが、スッと自分の中に入ってきて、自分が透明になってしまうような気がしました。そして、礼拝は、賛美で始まり、賛美で終わったのですが、その賛美の最中、なぜだかわからないまま涙があふれて止まらなかったのです。悲しい涙ではなくて、こみ上げてくる喜びというか、だれかに出会えたというか、しばらく忘れていた気持ちがよみがえってきたような感じがしました。そのクリスマスの日の夜、本当にすがすがしい気持ちで家に帰りました。

それからちょうど一週間後の元旦も日曜日でしたが、また友人に誘われたので、私は再び教会におじゃましました。そして、その日にも同じような体験をさせていただきました。牧師先生の素晴らしい説教にも惹かれました。

そして、それから何度が教会に行くようになったのですが、お祈りするときに、必ず「天のお父様」という言葉で始まることに気がつきました。突然、今までいなかったお父さんが見つかったような気持ちになりました。「お父さん」と呼べる存在ができたのです。「私には父親がいるんだ。そして、その父親から愛されているんだ」という確信がわいてきました。私は76歳にして、4月16日のイースターの日に、家内と一緒に洗礼を受けました。

私は再婚をして、しかも晩婚ですから、今息子は中学2年生です。当時、息子は、中学受験のために一生懸命勉強していました。そんな中、家内は、息子の母親であり、私の妻であり、私の仕事も手伝っていました。私は家内の父親のように、いろいろ細かいことまで言っていたものですから、家内も大変だっただろうと思います。プレッシャーも大きかったのではないかと思います。

正直言いますと、この2、3年間、私たちの家庭は、あまりうまくいっていませんでした。でも、3人でいっしょに教会に行きはじめ、私と家内が洗礼を受けたあたりから、わが家に笑いが戻ってきました。硬くなっていたみんなの表情が、だんだん笑顔になっていきました。家内が息子を呼ぶときの声も、だんだん柔らかくなっていきました。イエス様に出会って、もう一度、家族というものを再確認させていただきました。

私は、去年行われた東京ラブ・ソナタ、そして札幌ラブ・ソナタの2回、ギターの演奏をする機会を与えていただきました。まずは、父なる神様に感謝します。そして皆さんに感謝します。

 

アントニオ古賀

1959年、「フラメンコスタイル・コガ・メロディー」でレコードデビュー。以後、数々の賞を受賞。1976年、アントニオ・古賀ギター歌謡学院開校 院長就任。1988年、日本ラテンアメリカ音楽協会 理事長就任。1992年よりエーケープランニング代表取締役。2001年、高齢者文化振興事業団「社団法人 虹の会」理事長。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2018年11月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

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