世に打ち勝つクリスチャン | |||||
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世に打ち勝つクリスチャン
韓国オンヌリ教会長老 チョン・ジンホ
みなさん、お金は良いものだと思いますか?詩編119篇14節にはこう書いてあります。
「私が全ての財物を楽しむように、主を楽しみます。」私たちがお金を喜ぶことは悪いことではありません。しかしこれが金銭第一主義によって極端に傾いてしまいました。神様よりもお金を中心に考えてしまうと、おかしな方向に向かいます。聖書にはお金に注意しなさいとも書いてあります。エゼキエル書28章5節では「商い多くの知恵を使って産を増やし、あなたの心は、財宝で高ぶった。」と書かれています。マタイの福音書にはこう書かれています。「あなた方は神にも仕え、また富に仕えるということはできません。」ここで富ことを指すマンモンという言葉が出てきますが、これは自分が神になろうとしている邪悪な言葉です。創造論的な観点からみると、お金は良いものです。創世記1章に書かれている万物の中には金も、お金も入っています。ところが2章3章と進んでくると罪によってその考え方が変わってきます。ですから十字架によって贖われた私達の時代には、お金をもともとの在り方に戻す義務があるのです。
資本主義の原理は取引です。しかしその主体は私なので、お金も私の物という考え方が入ってきます。私達は売って買うという資本主義のやり方に慣れているので、私がお金の持ち主のような気がするのです。まず、お金の持ち主は誰なのかを知らなければなりません。ハガイ2章8節には「銀は私のもの。金も私のもの。万軍の主の御告げ。」とあります。またレビ記25章23節には「地は買戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地は私のものであるから。あなたがたは私のもとに居留している異国人である。」と不動産も神様のものと言っています。皆さんが職場でマンモンに勝つ一番の方法は、これら全て神のものであるという概念です。
第二には財産を管理するということです。この財産に関して恐れているのかどうかということです。マタイ25章では主人が旅行に行き、3人のしもべにお金を託します。1タラント預かったものはお金を恐れて地の中に隠しました。しかし5タラント預かったものはそれを10タラントにしました。1タラントは今のお金に換算すると約1億円くらいです。10タラントにしたということは10億円です。しかし、それを「わずかなもの」と表現しています。1タラント預かったものの態度はどうでしょうか?1タラント預かった人の神様の見方は「ひどい方」なんです。私も会社で業績を上げなかったら叱られるという概念に縛られていました。しかしへブル人の手紙13章5節には「金銭を愛する生活をしてはいけません。今持っているもので満足しなさい。」とあります。ローマ8章には「あなたは奴隷の霊を受けたのではなく、子どもとしての霊を受けた」とあります。マンモンが私たちを業績上げなかったから駄目だという時、「それは違う」という事ができます。
私は神の恵みにより、大企業のCEOとして多額の年俸をもらっていましたが、経営上のミスのため多額の借金をしていました。1000以上の従業員と関係はよかったのですが、一人だけ本社から来た副会長だけが私を嫌っていました。私は早天祈祷で「この人を除いてください。」と祈っていました。ある日ノンクリスチャンの営業部長が「断食祈祷してください。」と言ってきました。「私は30日間一日一食断食するから、あなたは3日間、早天祈祷で礼拝を捧げよう。」と言いました。1週間後、副会長が私の部屋に来て、「私はアメリカの本社に戻ることになった。」というのです。ところがその副会長は営業部長を含む何の非もない3人を首にしろと言ってきました。「どうしたらいいですか?」と早天で祈っていると「あなたが辞めなさい」と神様に言われたのです。私はこの仕事がないと借金を返せないと思っていました。しかし「わかりました神様、私が辞めます。」と言ったら副会長への憎しみが嘘のように消えたのです。しかし副会長にアメリカの金融危機のため韓国の証券部門は売却するので手伝ってくれと言われ、1年後に恵み中で売却することができました。その後私が会社を辞める時、アメリカの本社から小切手が届きました。その小切手は私の負債を払い、息子の結婚した後の家を買うだけの金額が入っていました。
ぺテロに水の上を歩かせた神様です。私達は財政の面においても水の上を歩くことができるはずです。そのためには日ごと神様との黙想を通して、世の中を勝ち取ることです。
最後にこの御言葉で閉じたいと思います。
ピリピ4章11節「貧しいからこういうのではありません。私はどんな境遇で満ちたりることを学びました。私は貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中いる道も知っています。また飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」
本文は、ラブ・ソナタ札幌教会セミナーにて語られた講義を要約したものです。