祈りを越えた神様の御業 | |||||
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「彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた」(使 12:10)。
2018年7月7日に発生した「西日本豪雨災害」を受けて、「岡山県宣教の集い」(通称「県宣」)は、翌週の13日に「岡山キリスト災害支援室」(通称「岡キ災」)を立ち上げました。経験の浅い私の支えとなったのは、長年培われてきた「県宣」による教会協力の存在であり、「県宣」のもと、2016年5月に行われた「ラブ・ソナタ岡山」での実行委員会は、そのつながりを深めておりました。
これまで災害支援のためにボランティアを派遣した経験はありましたが、ボランティアを受け入れた経験はなかったため、どのように「岡キ災」を立ち上げたらよいか、働き手や必要経費はどうなるかなど、課題は山積みの状態でした。その山積した課題を吹き飛ばすかのようにして「岡キ災」を支えてくれた存在が、「ハンガーゼロ」(日本国際飢餓対策機構)をはじめとする、多くの災害支援団体でした。
「岡キ災」の立ち上げ直後から、多くの災害支援団体や教団教派の代表が「岡キ災」の広江センター(日本聖約キリスト教団広江聖約キリスト教会)を訪れて、被災地(倉敷市真備町)に足を運んでくれました。その直後からボランティアチームと多額の支援金が送られてきたことには、驚かされるばかりでした。
この時、私に示されたみことばが、冒頭に記しました「投獄されたペテロの衛所の門がひとりでに開いた」という内容の箇所でした(使 12:6~11)。私の祈りを遙かに越えた神様の御業は圧巻でした。
多くの災害支援団体および、教団教派の教会の協力によって立ち上げられた「岡キ災」の活動は、真夏日の劣悪な環境のもとで行われました。あまりの暑さと劣悪な環境のため、作業を20分ほどしては10分間の休憩をとるということを繰り返さざるをえませんでした。それでもボランティアたちは黙々と作業に専念し続けました。その姿を通して、被災地の方々の心が開かれ、「岡キ災」の働きが次々に広まっていきました。
これまでも多くの御業がありましたが、今回は象徴的なこととして、二つの働きを紹介いたします。一つは倉敷市より「真備児童館」の作業を任されたことでした。この作業は特に劣悪でした。水が天上まで浸かっていたので、天井裏の断熱材に泥水がしみ込んでおり、天井板をはがす際にボランティアたちは頭上から泥水をかぶりながらの作業となりました。その先駆けとなってくれたのが、韓国から来日してくださったオンヌリ教会のボランティアチーム(Better World)でした。
もう一つは、ボランティア先で見つかった石臼から提案された「お餅つき」です。ボランティア(国内外を含む約50名)と被災地の方との合同お餅つきを行いました。住まいを失い、途方にくれている方々に、豊かな交わりを通して笑顔を取り戻していただきました。
「岡キ災」の働きは、2018年12月より真備センター「まびくら」(“真備に暮らしの温もりを”)に移り、被災地の居場所づくりと共に、寄り添いながらの復興支援(当面2年間)を開始しました。真備にセンターをと願いながらも行き詰まっていたところ、日本基督教団の協力支援によって「まびくら」が活動拠点として与えられたことも、「岡キ災」の立ち上げ同様、驚きでした。神様は、要所要所で私たちの思いを遙かに越えた奇しい御業をなしてくださるお方であることを、改めて驚きと共に感動を持って知らされています。
12月8日に「まびくら」開所式を行いました。「岡キ災」の立ち上げに関わってくださったハンガーゼロスタッフをはじめ、ボランティア先の方々(被災者)を含む、多くの方が参加くださいました。「まびくら」での活動に期待が寄せられています。12月25日に「まびくら」クリスマス、28日には「まびくら」お餅つきを開催しました。「県宣」の教会協力は勿論ですが、これまで関わり、協力支援をいただいた諸教会をはじめとして、倉敷市社会福祉協議会や多くの災害支援団体と協力を持ちながら、「真備に暮らしの温もりを」届けてまいります。そして、その先には真備にキリストの教会が生み出されることを夢見ています。引き続いてのご支援ご協力をよろしくお願い致します。
草井琢弘
2006年4月より岡山めぐみキリスト教会の牧師。
松下ビデオ岡山工場で働いていたとき、神様に召されて牧師となる。岡山県宣教の集い 委員長。岡山キリスト災害支援室 室長。
本文は、『リビングライフ STORY 2019年3月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。