一対一弟子養育の目的 | |||||
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オンヌリ教会 一対一弟子養育 担当牧師 イ・ギフン
長い間、一対一弟子養育の働きをする中で、「一対一をすれば、幸せになる」ということがわかりました。一対一弟子養育には、祝福がたくさん詰まっています。今回は、一対一弟子養育の目的について見ていきましょう。
1.救いと救いの確信を得る
第一の目的は、信仰の最も基本的な「救い」と「救いの確信」を得させることにあります。なぜなら、信仰の核心である「救い」と「救いの確信」が揺らぐと、信仰そのものが崩れてしまうからです。
韓国ほど異端が大手を振っている国は、世界のどこにもありません。他の国々にも異端はありますが、韓国のように、ひときわ救援派の異端が活動している国はありません。しかし、それよりももっと驚くべきことは、彼らが伝道対象としている人が、ノンクリスチャンではなく、教会に通っているクリスチャンだということです。救援派から脱会してきた人たちによれば、そこにはその地域の教会に通っていた人たちがたくさんいるそうです。これは深刻な問題です。イエスを信じて教会に通っていたクリスチャンが、なぜそのような集団に入ってしまうのでしょうか。それは、その人に救いの確信がなかったからです。私の経験がそのことを証ししています。
ある教会員の家庭で、イエスを信じていなかった父親が他界しました。喪主である息子は、葬儀が行われる3日間の礼拝を通して父親が救われることを信じるという挨拶をしました。喪主の妻も、入棺する間中、義父の救いのために祈ったので、救われることを信じると挨拶しました。私は、とても驚きつつも、このような教会員が多いだろうと思い、危機感を感じざるをえませんでした。
一対一弟子養育課程では、信仰の基本であり、信仰生活で最も重要な「救い」と「救いの確信」について明確に教えています。このために、全16週課程のうち、およそ3分の1が、救いに関する内容になっています。教会の中には、まだ救われていない人もたくさんいます。また、救いは得たとしても、救いの確信なく信仰生活している人もたくさんいます。そのようなことがないように、一対一弟子養育課程では、イエスを信じることによって罪の赦しを受け、救いを得るという内容を学びます。また、もう一歩進んで、救いを得ることは、自身の選択や決定によるものではなく、神の恵みと愛の結果だということも学びます。それから、救いの確信を得られるよう訓練します。
ある教会の長老が同伴者課程を終えて証しをしました。彼は勇気を出して自分の恥ずかしい部分を告白しました。これまでずっと教会に通い、長老になり、引退を目前にしていますが、これまで救いの確信がなく、死んだ後、天の御国に行くことに対する確信もなかったそうです。彼は、終わりのないトンネルを通っていました。ところが、同伴者課程を通して救いの確信を持つようになり、今は天の御国を慕い求めながら一日一日を生きるようになり、とても感謝しているそうです。そして、「このすばらしい訓練を、どうして今になってこの教会で始めたのかと、とても残念に思う」と、意味深い一言を残して証しを終えられました。
クリスチャンがこの地上で神の民として生きるために、救いの確信を持つことは本当に大切なことです。
2.霊的な成熟のための信仰の枠組みを築く
第二の目的は、信仰の枠組みを築くことです。信仰生活は、礼拝をささげ、奉仕をすることがすべてではありません。信仰が成長できるように訓練を受けなければなりません。霊的に成長するためには、基礎が正しく据えられなければなりません。そのためには、信徒が信仰の訓練を体系的に受けることが大切です。信仰の枠組みが正しく築かれなければ、健全な信仰者として成長することは困難です。そして、信仰生活も無秩序になりやすくなります。
以前、私は、聖書の学びに強い関心があったので、それに関する教材を集めて研究したことがありました。そのとき、「一対一弟子養育」の教材も初めて手にしました。ほかの教材と同様、自分で聖句を調べながら学んでみました。その教材を終えたあと、驚いたことに、私のうちに信仰の枠組みができているのを感じました。キリスト教の信仰に対して体系的に目が開かれる経験をしました。なぜなら、一対一弟子養育課程には、キリスト教の基本教理である御子なるイエス、御父なる神、御霊なる神、そして聖書と祈り、交わりと伝道、聖霊の満たしと試み、従順と働きなど、信仰生活において大切な内容がすべて含まれていたからです。その後、一対一弟子養育課程が信徒の信仰の枠組みを築くための最上の教材だという結論に達しました。
このことは、多くの信徒が同伴者課程を終えたときに証ししています。教会でどんなにすばらしいプログラムを行っても、信徒たちに信仰の枠組みが築かれていなければ、単なるプログラムで終わってしまう姿を多く見てきました。しかし、信仰の枠組みができている信徒には、そのプログラムが霊的な成長の助けになったのです。
一対一弟子養育訓練を終えた、ある信徒は「これまで、教会生活をいい加減にしてきたことがわかりました。ようやく、どのように信仰生活をするべきかがわかったように思います」と言い、また別の信徒は「信仰とはどういうものかということがはっきりし、喜んで信仰生活を送るようになりました」と言いました。私の経験と彼らの経験が同じであることがわかりました。数年間、教会に通った信徒であっても、体系的に訓練を受けていなければ、霊的に成長することができず、いつまでも子どものような水準にとどまり続けます。一対一弟子養育訓練は、神の御心を悟ることができるようになるだけでなく、固い食べ物を食べてもきちんと消化できる信仰者として成長することができるための霊的な骨組みを築き上げます。
3.教会で成熟した信徒として歩む
第三の目的は、教会で成熟したクリスチャンとして過ごすよう訓練することです。よい信仰をもっているからといって、教会生活がすばらしいというわけではありません。教会の中で、小さなことでも簡単につまずいてしまう人がいます。その理由は、その人の熱心さの中に、自らを正しいと思う自己義認が混ざっているからです。主のために仕えるという思いで始めたとしても、自分に栄光を帰して終わるなら、必ず試みに会います。教会の中で、人々に怒りや不満をぶつける信徒のほとんどは、口では主の栄光を語っていますが、心の中では自分の栄光を求めています。教会の主人はただイエス・キリストお一人だけです。ですから、すべての栄光を主にささげなければなりません。クリスチャンは、キリストのからだである教会を全きものにするために召された者です。そして、教会は、イエスを信じて救われた人々によって建て上げられる、信仰共同体です。信徒は、その中でほかの人々と交わりながら生活してこそ、正しく成長することができます。ですから、教会は、信徒たちには信仰生活の中心となる場所であり、世の人々には救いの箱舟の役割にならなければなりません。しかし、その中で、人間関係でつまずき、奉仕をする中で傷ついて教会を去ったり、信仰生活をあきらめたりする人がたくさんいます。このような現象は、訓練を受けることができなかった結果だと思われます。訓練を通して信仰が成長するのと同じように、教会生活も訓練を受けてこそ成熟します。
あるグループリーダーの告白が、成熟した教会生活の姿を端的に示しています。そのグループは、新しく入ってきたメンバーがうまく定着できるよう、その人を中心に集まる曜日や時間を決めるそうです。それは、新しいメンバーがグループに定着できてこそ、教会生活にもよく適応できるという考えからです。
このように、成熟したリーダーは、神の栄光と教会の一致を優先して考えます。そのような信徒が集まれば、教会はさまざまな試練があっても揺らぐことなく、健全に成長していきます。一対一弟子養育は、教会がどのような所であるかということを学ぶだけなく、信徒の義務はもちろん、成熟した教会生活をする方法を訓練します。
4.世の中で健全な信仰者として生きる
第四の目的は、世の中で健全な信仰者として生きていけるよう訓練することです。名ばかりの信仰者ではなく、健全な信仰者です。そこには、教会生活はもちろん、家庭や職場、社会生活など、すべてが含まれます。信仰生活は、教会の中ではもちろんですが、教会の外ではさらに良いものとしなければなりません。クリスチャンは、どこにいても、どんなことをするにも、どんな立場であっても、イエスの弟子にふさわい姿で生きなければなりません。クリスチャンとしてふさわしい態度や価値観を持って生きなければなりません。それでこそ、暗い世を照らすことができます。もし世の風習や方法に従って生きれば、光を失った電球のような存在になってしまいます。
一対一弟子養育訓練を通して同伴者課程と養育者課程を経れば、教会生活を、聖書的かつ知恵深く送る方法を学ぶことができますが、さらに進んで、家庭や社会でも聖書に基づいて生活する方法を学ぶことができます。
特に、反聖書的な文化を背景とした職場でクリスチャンが取るべき方法を学んだり、自分の置かれた環境で直面するさまざまな試練や誘惑に信仰的に対処する方法を学んだりすることができます。また、聖書的な家庭の原理、すなわち夫婦関係や親子関係が、愛と従順によって完全になるというみことばを学ぶことにより、回復させることができます。
小さな会社の事務所に勤めていた女性信徒がいました。彼女はその会社の花でした。顔立ちが美しかったからではなく、生活態度が際立っていたからです。彼女は、いつ見ても喜びに満ちた表情で、どんなことにもポジティブに考え、一緒に仕事をする人々にいのちの水を流す役割をしました。どうして彼女はそのようにできたのでしょうか。彼女のことが気になっていた社長は、ある日、彼女がクリスチャンで、イエスの弟子として訓練を受けているということを知りました。彼女はその会社の光となり、ノンクリスチャンの社長は彼女を通してイエスを信じ、救われました。
このように、信仰や生活に関する多様なテーマを、養育者と同伴者がともに分かち合う中で、クリスチャンとして健全に生きる方法を学ぶことができます。一対一弟子養育は、聖書的な生き方、すなわち自分中心ではなく神中心に、利己的にではなく利他的に、そして自分の思いではなく神の御心に従って生きるよう訓練される課程です。
これまで一対一弟子養育の目的について調べてみました。結論として、一対一弟子養育は、以下のような3つの価値を追求するものであると言えます。それは、「健全な信仰者を育てる」「健全な教会員を育てる」「健全な社会人を育てる」ということです。一対一弟子養育は、個人と教会に限られていた概念を越えて、家庭と教会と社会で影響力のあるクリスチャンとして生きていけるように訓練します。
本文は、『リビングライフ STORY 2019年3月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。