Why 一対一弟子養育: 養育者とはどんな人か ② | |||||
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Why 一対一弟子養育: 養育者とはどんな人か ②
オンヌリ教会 一対一弟子養育 担当牧師 イ・ギフン
4. 養育者は訓練教官です
海外映画の中で、軍人になった若者が、軍の訓練所に入って基礎訓練を受けた後、入隊前と別人のようになった姿を見たことがあるかもしれません。なぜ、そのような変化が起こるのでしょうか。それは、訓練の結果です。では、どんな訓練を受けると、その人に変化が起こるのでしょうか。使徒パウロがコロサイの教会に送った手紙に見られるように、一人ひとりを完全な者として育てるため、そして一対一弟子訓練者として正しく立つためには、次のような方法をとる必要があります。
第一に、養育者は、規則に従って養育しなければなりません。軍において指導教官は、すべての訓練を規則どおりに行います。また軍生活は、訓練、休憩、食事、就寝など、スケジュール表に従って生活します。そのような訓練と生活が続くことにより、自然と軍人にふさわしい姿が身につくようになります。訓練は、秩序の中でなされるとき、良い結果を得ることができます。一対一弟子養育の養育者も、提示された規則の中で全過程を進めていきます。予習の点検、聖句の暗唱、QTの分かち合い、時間を守ることの確認など、与えられた規則を守らなければなりません。もし養育者が規則を無視して養育すれば、良い結果は期待できません。
第二に、繰り返し訓練しなければなりません。指導教官は、基本的に規則どおりに訓練を実施するだけでなく、訓練の内容も徹底的に反復しなければなりません。反復は訓練内容をからだと心に覚えさせます。その結果、訓練の効果を予定通りに身につけさせることができます。このように、養育者は、毎週反復すべき内容を欠かしてはなりません。もし反復することを軽く考えるなら、養育の効果は減少します。このような結果は、これまでの統計を通して確認されたことです。QTの分かち合い、聖句の暗唱、宿題の点検、舵の図の確認などは、反復して行うべき内容です。同伴者課程での訓練の結果は、養育者課程に入れば自然に現れます。誠実に課程を行った人に比べて、不誠実できちんと遂行しなかった人は、養育者課程で困難にぶつかりやすくなります。
第三に、同伴者に手本を示さなければなりません。指導教官は、訓練生に手本を示すことにより、訓練の効果を高めます。このように、養育者は自ら手本を示すことで、同伴者により良い結果を得させます。養育者はことばだけでは同伴者を養育することはできません。本人が体験したみことばの力、従順の祝福、試練に打ち勝った経験などを分かち合うことにより、同伴者にチャレンジや霊的な感動を与え、霊的なエネルギーを与えて助けることができるよう助けます。「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています」(Ⅰテサ 1:5)。
第四に、予備養育者を輩出しなければなりません。指導教官は、訓練生を送り出すことに大きな喜びを抱きます。決められた訓練を終えた軍人が配置された部隊に行って立派に軍生活をすることを期待しながら、退所式を行うのです。このように、養育者は、同伴者が次世代養育者として送り出されることを、最大の目標とします。同伴者課程を終えた兄弟姉妹がイエスの弟子として新しく生まれ変わることと、次の人のための立派な養育者となることを期待して、養育を終えます。
5. 養育者はとりなしをする者です
「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています」(Ⅰテサ 3:10)。
パウロは、テサロニケの信徒たちの霊的成長のために、昼も夜も祈りました。これは、養育においてとりなしの祈りがとても重要だということを示しています。養育者と同伴者として出会った人が、みことばを学び、心を開いて人生を分かち合うことは、聖霊の助けがなければ豊かなものになりません。また、とりなしの祈りがなければ、霊的な成長も期待できません。ですから、養育者は同伴者のためにとりなし手として立てられたことを覚え、次のような態度を持たなければなりません。
第一に、同伴者のために祈りを続けましょう。子どものための親の役割のうち、もっとも大切なことは、とりなしの祈りです。子どもは、親の祈りを受けながら成長します。その祈りの答えは、子どものの人生のさまざまな場面で現れます。同じように、養育者は課程が終わるときまで、同伴者のためにとりなしの祈りを続けます。霊的な親としてささげる養育者の祈りは、同伴者の訓練はもちろん、人生のさまざまな場面で良い影響を与えるでしょう。
第二に、同伴者課程が恵み深く成長できるように祈りましょう。同伴者課程が順調に進まないことがあります。思いもしない状況に直面し、養育をしばらく休まなければならなくなる場合もあります。同伴者課程を終えても変化を経験できない人もいれば、イエスの弟子として生まれ変わることができない人もいます。ですから、同伴者の祈りなしには、一対一弟子養育が順調に進むことは難しいということを覚えましょう。
第三に、同伴者の信仰の成長のために継続的に祈りましょう。使徒パウロがそうだったように、養育者は、同伴者の未熟な部分が養育課程を通して満たされるように祈ります。そして、同伴者がイエスの弟子として成長していくよう、祈ります。霊的成長は、本人の努力によるところが大きいですが、だれかの祈りの支えも決して軽く考えることはできないものです。
第四に、養育の後にも同伴者のために祈りましょう。親が、独立した子どもたちをとりなしの祈りをもって生涯支え続けていくように、養育者は同伴者がまた次の人の養育者として立派に用いられるよう、継続的にとりなしの祈りをもって支えます。なぜなら、同伴者は養育者が産みの苦しみを経て生んだ霊的な子どもだからです。一度養育者になれば永遠の養育者であり、一度同伴者になれば、永遠の同伴者なのです。
6. 養育者はセルフトレーナーです
「俗悪で愚にもつかぬ空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい」(Ⅰテモ 4:7)。
パウロは、霊的な子であるテモテに対し、自らの成長のために、自分を鍛錬するようにと教えています。養育者も、自らの霊的成長のために鍛錬しなければなりません。他人を訓練しつつ、同時に自分も訓練しなければなりません。学びながら教えなければならないのです。継続的な霊的成長のために、いつも自らを顧み、訓練するセルフトレーナーになるために、以下のような態度を身につけましょう。
第一に、自身の霊的成長を疎かにしてはなりません。養育者は、一人の信仰者として、神の御前に正しく立つための敬虔訓練を怠ってはなりません。毎日みことばを黙想することは基本であり、祈りの生活により、いつも目ざめていなければなりません。そして、信仰書籍を読み、霊的成長のためのビタミンとし、各種プログラムに参加して霊的成長を目指さなければなりません。養育者は、同伴者を霊的に正しく導くことができるガイドの資格を自ら身につけていきます。
第二に、人生の手本になるよう努力しなければなりません。一対一弟子養育は、みことばだけを教える課程ではなく、互いの人生を分かち合う課程なので、自然に養育者の人生が同伴者に現れるようになっています。ですから、養育者は信仰生活の面で同伴者に手本を示すよう努力します。パウロはテモテに、だれにも軽く見られないよう、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさいと教えています(Ⅰテモ 4:12)。これがまさに、養育者が身につけるべき霊的な態度です。養育者は、同伴者に生活面でも良い影響を与えなければなりません。
第三に、恥ずべきことがないように気をつけなければなりません。養育者は、神と同伴者、そして自分自身に恥ずべきことがないよう、いつも自らを省みなければなりません。みことばを教えることと、人生を分かち合うことにおいて、恥ずべきことがないか、常に自らを点検しながら養育します。特に、養育者は健全に教会生活をするように注意します。なぜなら、養育者がどういう理由であれ、教会の中で問題を起こしたり、困難な状況を作り出したりすれば、その同伴者は傷つき、つまずきやすくなるからです。パウロはテモテに真理のみことばを教えるにあたり、恥じることがなく、人よりも神に認められるよう努め励まなければならないと言いました(Ⅱテモ 2:15)。このみことばは、養育者が身に着けるべき態度について、端的に見せてくれています。
7. 養育者はビジョンをもった人です
「私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです」(Ⅰテモ 4:10)。
パウロは、福音を伝え、イエスを信じた者たちを弟子として養育し、教会に仕えましたが、いつも神に望みを置いていました。神の御心が成し遂げられ、神の栄光を現し、主の御名があがめられる働きとなるように願いました。そのようにして、働きの過程で直面する苦難や迫害を乗り越えることができました。養育者はビジョンをもった人です。敬虔な親が神に望みを置いて子どもたちの未来を見据えながら養育するように、神が同伴者を通してなされるみわざに期待して養育します。パウロのようにビジョンをもち、次のような態度で養育します。
第一に、養育者は同伴者の人生が変化するように期待して養育しなければなりません。一対一弟子養育は、信仰と人生を変化させる力を持っています。これは、同伴者課程を終えた人々の証しが裏付けてくれます。養育者は、このような変化を経験しているので、自身が養育する同伴者に同じ変化が起こることを期待します。一対一弟子養育は、経験に至る訓練課程です。この訓練は、すべてのことに有益で、永遠のいのちを約束しています。養育者は神が同伴者のうちに行われる驚くべきみわざを期待しながら養育します。
第二に、同伴者がイエスの弟子になることを夢見て養育しなければなりません。一対一弟子養育は、同伴者をイエスの弟子となるよう訓練する課程です。イエスの弟子になったということは、人生がイエスを中心に作り直されたということです。ですから、養育者は、同伴者の人生が変わるだけでなく、まことの弟子として生涯生きていくことを期待します。養育者は望みを神に置いているので、養育課程で労苦を惜しみません。養育者は、本人がイエスの弟子として生きているので、さらに神に望みを置き、養育に専念することができます。
第三に、同伴者が立派な養育者になることを夢見て養育しなければなりません。立派な師から立派な弟子が生まれるように、立派な養育者から立派な同伴者が生まれます。養育者は、同伴者がいずれは立派な養育者として用いられるようになることを願い、熱心に養育します。
本文は、『リビングライフ STORY 2019年6月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。