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ESSAY
主はいつ来られるのか
by.CGNTV
hit 32 recomend 6 2019-08-26 12:56:19

主はいつ来られるのか

 

 第一に、いつ来られるのか。だれも知らず、ただ主だけがご存じである。

 

ゼカリヤ14:7 これはただ一つの日であって、これは主に知られている。

 

 その日は、神だけがご存じで、主イエスも知らない日である。

 

マタイ24:36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

 

 歴史的に、多くの人々がイエスの再臨を預言し、人々の注目を引いたが、みな偽預言者であること が明らかになった。イエスも知らないその日を推定することは、神に反逆することであり、人々を欺くことである。 |

 だとしたら、神はなぜ、イエスにさえもその日を告げなかったのだろうか。その時を正確に知っていたら、私たちがはるかにもっと迷わずに生きられるのではないだろうか。いや、むしろ私たちがその時を正確に知っていたなら、これを悪く利用しようとするだろう。再臨ビジネスが発達するかもしれない。再臨の時を正確に知らなくても、すでに終末はビジネスに利用されている。2002年7月のタイム誌の表紙を飾ったのは「聖書と終末の預言」であった。アメリカのティム・ライとジェリー・ジェンキンズが共著した『レフト・ビハインド』は、終末を主題にした小説で、すでに5千万部以上を売り上げた。この本を読んだ半分の人はクリスチャンであるが、残りの半分はノンクリスチャンである。2002年に出版されたこの本がノンクリスチャンの人気まで集めたのは、おそらく2001年9月11日の悲劇的な出来事のためであろう。それはまさしくアメリカと全世界を恐怖のるつぼへと追い込んだ9.11テロである。

 ノアが箱舟を造るようにと神から命じられたとき、山に箱舟を造ることよりも、彼をもっと苦しめた問題は、全く具体的な時を知らないということだったであろう。創世記6章3節で神が「人の齢は、120年にしよう」と仰せられることで、120年後にさばきがあることを預言してくださったが、それが具体的に箱舟を造ることとどのような関連があるかは詳細に把握しがたかったであろう。 ところが、まさにこれによってノアは自分の信仰を証明することができた。そして、私たちは彼を通して、信仰とは何かを学ばされる。いつ雨が降るか、いつさばきの日が来るかはわからなかったが、ノアは無条件に従ったのである。

 はたして、神がいつ水でさばかれるかを告げてくださったなら、人々は変わったであろうか。いや、やはり冗談だと思って、変わらなかったであろう。ノアが箱舟に入ったその日まで、人々は悟れなかった。雨が降り始めたのに、依然としてノアの言葉を信じようとしなかった。

しかし、神は、その日がいつかは正確に告げてくださらなかったが、その日を知ることのできるしるしは教えてくださった。私たちはそのしるしを見て、その日に備えることができるのである。イエスがマタイの福音書24章から25章で集中的に語られたことも、その日がいつかではなく、その日が近づいていることがわかるしるしであった。イエスの再臨が近づくと、あちこちで戦争や地震が起こり、偽預言者たちが大勢現れ、人々の愛が冷め、福音が全世界に宣べ伝えられるようになる。

 イエスは、その日のために目を覚ましていなさいとくり返し語られた。花嫁が花婿を待つように、目を覚まして用意しなさいと言われた。十人の娘たちが花婿を待っていたが、五人は油を用意しておき、残りの五人は油を用意しておかなかった。花婿が来るのが遅れたので十人とも眠ってしまったが、夜中に突然花婿がやって来た。この時、油を用意しておいた五人の花嫁は、ともしびを整えて出迎えることができたが、残りの油を用意しておかなかった五人の娘たちは、急いで油を買いに行き、 結局は婚礼の祝宴に入れなかった。

 今日の結婚式は花婿がまず入場して花嫁を待つが、ユダヤ社会では花嫁が花婿を待った。そのうえ、花婿がいつ来るか約束していないので、ひたすら待たなければならなかった。花嫁は、ある日突 然来た花婿を喜んで迎えなければならなかった。イエスはユダヤ社会の結婚式をたとえとして挙げ、その日はそのように不意に来るので、いつも目を覚まして花婿が来るのを待つようにと言われたのである。

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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