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ESSAY
主はどのように来られるのか
by.CGNTV
hit 17 recomend 2 2019-09-09 14:47:04

主はどのように来られるのか

 

  第二に、イエスがどのように来られるのかである。それは三つの現象とともに来られる。イエスの再臨は、最終戦争とともに来る。主イエスが再び来られる日はさばきの日だからである。

 

ゼカリヤ 14:1-3 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

 

  イエスが再び来られるその日は、エルサレムを取り囲んだ最終戦争があると語っている。神がすべ ての国々をエルサレムに呼び集めて、エルサレムと戦わせるからである。すべての国々の攻撃を受け たエルサレムは占領され、家ごとに略奪される。神の民が大患難を受ける様子である。

神のさばきは神の民から始まる。神はこの世をさばく前に神の教会からさばかれる。旧約の諸預言 書は、終わりのさばきの日に神の民が完全に救われる前に、まず大患難を受けるようになると預言し ている。エルサレムのわざわいは、国々に対するさばきと新しい天と新しい地を開く最初の合図なの である。歴史上、悪の勢力はいつも神の民を苦しめてきたが、終わりの時に悪の勢力は、大患難によ って聖徒たちを攻撃するようになる。

  神はなぜ、神の民をこのような患難の中に置かれるのであろうか。麦と毒麦を区別し、羊と山羊を

区別するためである。患難に耐えることのできる唯一の秘訣は、明らかな信仰である。きよい信仰で ある。教会の中に入って来たからといってみな救われるわけではなく、イエス・キリストに対する明らかな信仰があってこそ救われるのである。

ところが、神は、エルサレムが大患難を受けるとき、国々の同盟国に立ち向かって戦う者として現れ、彼らをさばかれる。ヨハネの黙示録では、この戦いを、ハルマゲドンに国々の王たちを集め、神の最後の第七の怒りの鉢をぶちまけることで表現している。

 

黙示録16:16-17 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。 第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、 「事は成就した」と言った。

 

  神の怒りが七つの鉢でぶちまけられるが、最後の第七の鉢は神の民を大患難に追い込んだ国々に怒りが臨み、さばきが終わるというのである。

 

 

本文は、『悔い改めは神の恵み』 (イ・ジェフン著、日本Duranno書院)より、抜粋したものです。

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