弟子養成の必要性について | |||||
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弟子養成の必要性について
草加神召キリスト教会 主任牧師 天野弘昌
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタ 28:19)。
これは、主が昇天する前に命じられた、大変重要な言葉です。ここでは、弟子養成の必要性と、どのように主の宣教命令に取り組んでいったらよいかについて述べたいと思います。
私が牧師になる前に勤務していた外資系の銀行では、新入行員から段階的に研修をしていました。行内には沢山のマニュアルがあり、明確な日々のルーティンワーク、それぞれのノルマがあります。それらを達成する為の計画を立て、責任を果たさねばなりません。それは、どんな業種にもあるのではないでしょうか。
しかし、教会がそのようにすることは、体質的には馴染まないでしょう。教会は、一般のサークル活動やコミュニティセンターとも違います。かなり特異な存在であり、特別な集まりです。それぞれが聖書的な使命感や充足感を持って、自主的に推進していく必要があります。教会では、聖書的価値観や主の御心が成される事が最大重要事項です。
Ⅰ:弟子養成の必要
ガラテヤ人への手紙3章3節にあるように、御霊で始まった働きは、決して肉では仕上げることができません。すなわち真の弟子養成は、祈りと御霊の助け無くしては、上手くいかないでしょう。
かつて弟子化に重点を置いて、最大級の成長をしたある教会のセミナーに参加した時に、強く印象に残ったことがあります。以下がそれらのポイントでした。
① イエス様の公生涯の中心は弟子養成だった
② 弟子養成ほど戦いと攻撃のある働きはない
③ 弟子養成が徹底されれば、必ず結実が伴う
Ⅱ:教会形成に不可欠
私たちが開拓から教会形成をする中で最も大切にしたのは、信徒教育でした。どのように世俗的な価値観から聖書的価値観に変われるかがポイントです。御霊の助けによって変えられていったとき、真理は人を自由にし、さらに周辺の人たちへの良い証詞になりました。そして関わる人々に良い影響を与えます。私たちは、さまざまな学びの場を開設していきました。その中で、多くの信徒のうちに学びに対する高い意識があることを発見しました。一人ひとりがキリストに似る者となり、さらに成熟したいと願うのです。信徒たちが健康的なクリスチャンになることは、代え難い喜びです。
Ⅲ:全世界に出て行く宣教的な教会へ
教会に忠実に仕える信徒たちも素晴らしいですが、派遣されて宣教活動に専心する人たちも貴いです。もちろん、各々の召しと賜物による違いがあると思います。しかし、学びと訓練を続けていく中で、それらが明らかになることがあります。
もし、学びと訓練をしていなかったなら、タラントのたとえにある「1タラントを預かった人」のようになるのではないでしょうか。せっかくの潜在的な可能性に満ちた宝が、埋もれてしまうかもしれません。
私たちの教会の開拓当初に導かれた子どもたちは、教会が大好きで共に成長していきました。彼らの多くが献身表明をし、後に神学校を卒業し、開拓に出ている者たちもいます。そして、母教会と同様の働きを、あちこちの地で始めています。
さらには、それぞれの地域性に合わせた工夫をし、主から知恵をいただいて独自の成長をしています。主イエスは、弟子たちと寝食を共にし、さまざまな経験を実践的に行わせながら訓練されました。今の時代においても同様に、弟子化された器たちが出て行って、宣教することができると信じています。
最後に、最近経験したことを分かち合いたいと思います。弟子化する牧者に最も求められるものは、神の愛です。事あるごとに、そのことが強く迫ってきます。ある時、「あなたは放蕩息子の父親のようになりなさい」と神様から言われたように感じました。霊的親として弟子たちを育むにあたり、期待もあり、失望もあります。親としてちゃんと育てたつもりですが、願ったようにいかないことがあります。時には、落胆や裏切りを感じることもあります。この葛藤と自責の念に駆られて弟子養成を放り出したくなったり、自分は向いていないのではと召命にさえ疑いを抱くこともありました。しかし、そのたびに主が慰め、励ましてくださいました。成長した人々を通して奮い立たされ、立ち上がらせられることもありました。
弟子養成とは、自らの愛の足りなさを目の当たりにし、成長させられる場であることがよく分かりました。まさに牧会者もリーダーも共に成長し、主の愛に近づくことができるのです。マイナス的になる状況や、危険や偏見が混入する場合もあるでしょう。そういう現場にいながら、どのように父なる神の愛を持ち続け、人々を受け入れ、愛し続けていくのかという、まさに己との闘いですが、主が助けてくださり、成長させて下さるでしょう。素晴らしい主の栄光が、日本に現される事を祈りつつ……。
天野弘昌
法政大学卒業、英国ケンブリッジ留学後、外資系銀行に入行。1988年、CBC(聖書学校)卒業、米国ワシントン大学で神学博士号取得。草加神召キリスト教会 主任牧師。
本文は、『リビングライフ STORY 2019年10月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。