HOME > COMMUNITY > COLUMN > 詳細を見る
COLUMN
ともに成長する一対一弟子養育
by.CGNTV
hit 488 recomend 163 2019-11-30 13:40:41

ともに成長する一対一弟子養育

 

オンヌリ教会 一対一弟子養育 担当牧師 イ・ギフン

 

 

多くの弟子訓練は、師弟関係にある一対多数のグループで進められます。この方法は、イエスが12人を弟子として訓練し、世に遣わされたことをモデルにしています。しかし、一対一弟子養育は違います。一対一で訓練し、養育者と同伴者が養育課程を通してともに成長していく弟子訓練です。これまで、一対一弟子養育は、おもに同伴者の信仰の成長にのみ焦点を合わせて理解されてきましたが、今は養育者の成長についても考えられています。一対一弟子養育は、ともに成長する弟子養育課程であるという根拠は、以下のとおりです。

 

1.  互いにへりくだる

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(ピリ 2:3)。

神の愛を経験した人は、いつも神と人に対して謙遜です。養育者は、神の恵みによって救われ、愛されている者として、同伴者に対して謙遜な態度を取らなければなりません。社会的に高い位置にいたとしても、神の恵みの中では謙遜にならざるをえません。また、イエスが弟子たちの足を洗ってくださったように、養育者はいつでも同伴者の足を洗う心の準備ができていなければなりません。また、同伴者は、学ぶという姿勢で養育者を自分よりもすぐれた者と思わなければなりません。もし養育者が自分よりも社会的な地位が低い人だとしても、神が結んでくださった養育関係だと信じて、へりくだらなければなりません。

また一対一弟子養育課程が互いにとって恵み深く進むように、聖霊に拠り頼まなければなりません。そうすれば、養育課程を神が導いてくださいます。互いに謙遜な態度であれば、自己中心ではなく他者中心的に養育過程を進めることができ、ともに成長することができます。

 

2.  互いに尊重し合う

「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」(ロマ 12:10)。

一対一弟子養育は、人格的な態度でなされる養育課程です。まず養育者と同伴者は、相手の話をよく聞くことによって互いを尊重します。また、養育課程の中で見えてくる弱さや未熟な姿を見てさばくのではなく、理解し、受け入れます。そして、互いに支え合います。使徒パウロは、信仰の弱い人を受け入れ(ロマ 14:1)、力のない人の弱さをになうべきであって、自分を喜ばせるべきではないと言っています(ロマ 15:1)。言い換えれば、相手を思いどおりに支配しようとしてはならないというのです。また、兄弟をさばいたり、侮ったりしないようにと強く戒めています(ロマ 14:10)。

一対一弟子養育課程には、養育者の人格的ではない態度のために試みに会う同伴者や、反対に不誠実な同伴者の態度のために精神的に苦労する養育者がいます。どちらも互いを尊重する態度がなければ、弟子養育の実が豊かに結ばれることはありません。ですから、養育者は、同伴者を年齢や信仰の成熟度などと関係なく、尊重しなければなりません。そして同伴者は、自分のために献身する養育者を尊敬しなければなりません。互いに時間を守る、宿題を忠実にやって来るなどの約束を守り、互いを尊重する態度を取ることにより、ともに成長することができます。

 

 

3.  互いに励まし合う

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい」(Ⅰテサ 5:11)。

一対一弟子養育は、一方的に教えるだけの課程ではなく、養育者と同伴者が互いに励まし合う課程です。励ますということは、近づいて耳を傾けるということです。信徒たちの中には、成長過程で親から認めてもらった経験が少なかったり、愛されてこなかった人がたくさんいます。親の未熟さや、家庭環境のために、自分の本当の価値がゆがめられたことに気づかないまま、生きている人がたくさんいるのです。劣等感や強い自尊心、自責、自虐といった態度は、アイデンティティが誤って形成された結果です。しかし、一対一弟子養育課程において、養育者と同伴者は、互いに励まし合い、徳を高め合うことによって、自分の存在価値を見いだします。そして、いやしと回復を経験します。「あなたは、愛されるために生まれてきました。神様は、あなたのために驚くべきご計画を持っておられます。神様は、あなたを愛しておられます。あなたは尊い存在です。神様は、あなたの人生に大きな関心を持っておられます」などの励ましを通して、ともに自尊心を回復し、成長していきます。

対人恐怖症の人がいました。彼女は、人から見捨てられたくないために、人から愛されることも、人を愛することもしないように生きてきました。そんな彼女が、長い間拒んできた一対一弟子養育を始めることになりました。その中で、それまで聞いたことのなかった励ましの言葉を養育者から聞きながら、回復していきました。また、養育者は回復した同伴者の姿を見ながら、信仰が成熟していきました。

 

4.  互いに教え合う

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」(コロ 3:16)。

この「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め」というみことばの実践が、一対一弟子養育です。養育者が同伴者を一方的に教えるのではなく、互いにみことばを分かち合うことにより、ともに学んでいくのです。

また、一対一弟子養育において、QTはとても大切です。一対一弟子養育とQTは、コインの両面のように、分離して考えることはできません。QTのない一対一弟子養育によっても、一対一弟子養育のないQTによっても、全き弟子養育をすることはできません。この二つが一緒に進められるとき、弟子として訓練され、人格が成熟していきます。これが、一対一弟子養育を牧会に導入しようとする教会の牧会者たちに、まずQTの訓練を受けるよう勧める理由です。養育者と同伴者それぞれがQTをすることによって、主のことばが心に豊かに蓄えられます。ふたりが会って黙想した内容を分かち合うとき、その豊かなみことばが、それぞれにとって教えとして、また戒めとして迫ってきます。互いがみことばを通して受けた恵みを分かち合うのです。そして、その恵みに感謝し、最終的には、恵みを施してくださった神をほめたたえるようになるのです。

 

5.  互いに産みの苦しみをする

「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」(ガラ 4:19)。

子どもを産むときには、妊婦の苦労だけでなく、実は胎児にも苦労があります。妊婦は妊婦なりに、胎児は胎児なりに10ヶ月間苦労してきた結果、時が満ちれば、この世に新しいいのちが生まれるのです。同様に、養育者と同伴者は、互いに違うことを理解し、適応しながら、産みの苦しみをします。その結果、16週課程を終えるとき、喜びをもって新しい人として生まれ変わるのです。

しかし、そのためには、養育者と同伴者が、ともに優先順位を相手に置き、すばらしい養育になるよう時間をささげなければなりません。また、養育課程でどんな状況にぶつかったとしても、養育者と同伴者それぞれが聖霊の助けを求めながら、信仰によって乗り越えなければなりません。この課程では、忍耐を欠かすことはできず、これからイエスの弟子として生まれるひとりのたましいに期待する希望が必要です。そのような互いの苦労の結果、養育者と同伴者は、イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持ち、心を一つにし、声を合わせて神をほめたたえ、さらには互いに受け入れることにより(ロマ 15:5~7)、ともに成長していきます。

 

6.  互いにとりなして祈る

「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた」(使 1:14)。

一対一弟子養育は、祈って準備し、祈って始め、祈って終える養育過程です。まず、養育者と同伴者は、会う前から互いのために祈ります。第二に、それぞれ自分自身のために聖霊の助けを求めます。さらに、サタンの妨げに対抗して祈ります。第三に、養育期間、互いのためにとりなして祈ります。第四に、互いに恵みとまことがあふれる養育課程になるよう祈ります。このように、ひとりのたましいを心に抱き、互いのために祈るとき、驚くべき霊的な成長をすることができます。養育者だった使徒パウロは、自分が開拓した教会と信徒たちのために祈り、同伴者であるその教会の信徒たちは、使徒パウロと宣教のためにとりなして祈りました。そうすることにより、それぞれの信仰と働きと生活の中で、霊的成長はもちろん、聖霊の驚くべきみわざをダイナミックに経験することができました。このような霊的な交わりは、養育者と同伴者をともに成長させてくれます。

 

7.  互いに手本を示す

「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください」(ピリ 3:17)。

使徒たちは、3年間訓練を受けながらイエスの信仰を見ならい、エルサレムの教会の信徒たちに対しては信仰の手本となりました。このように、見ならい、手本となることの繰り返しが、一対一弟子養育課程です。健全な養育者は、信仰、人格、教会生活、家庭生活、社会生活、個人の霊的生活などで、同伴者に手本を示そうと努力します。養育者は、そうすることにより、成長していきます。同伴者は養育者を通して自身の弱さを発見するだけでなく、養育者からいろいろな面でチャレンジを受けます。その結果、人生の変化を経験します。実質的に同伴者課程を終えた人々の証しには、そのような内容が多くあります。そして、自身が養育者となったとき、同伴者にすばらしい手本になろうとします。養育者は同伴者が変化し、成長する過程を見ながら、逆にその純粋さと情熱にチャレンジを受けます。このように養育者と同伴者は、互いにチャレンジを与えたり、手本を示すことにより、ともに成長していきます。

一対一弟子養育は、養育者と同伴者がともに成長するという点と、養育者が同伴者を産み、同伴者が養育者となってまた別の同伴者を産む再生産が起こるという点、そして、個人の信仰の成長はもちろん、教会の成長と社会の変化にも影響を及ぼすという点が大きな長所です。訓練を受けた人々が健全に信仰生活をすることにより、教会全体が信仰的に成熟していきます。そして、家庭や職場でもイエスの弟子として、健全な社会人として歩み、良い影響力を及ぼします。アンティオケ教会の信徒たちが教会の外の人々からキリスト者と呼ばれるようになったのは、彼らが教会の中だけでなく、教会外でもイエスの弟子として生きたからです。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2019年7月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

트위터로 보내기
TEXT ▲TEXT ▼
おすすめ 返信 リスト
 12668060 認証キーを入力してください
パスワードを入力してください
コメント書き込み