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良い行いによって光を現しましょう
by.CGNTV
hit 679 recomend 178 2020-01-28 11:00:41

良い行いによって光を現しましょう

 

 

イ・ジェフン オンヌリ教会 主任牧師

 

 

しばらく前、コリンズというスタンフォード大学教授の『Good to Great』(邦題:ビジョナリーカンパニー 2)という、企業に関する本がベストセラーになりました。教会は、この書名を反対に適用しなければなりません。「グッドからグレート」ではなく、「グレートからグッド」です。偉大な教会ではなく、良い教会にならなければなりません。イエスは「わたしは良い牧者です」と言われましたが、「わたしは偉大な牧者です」とは言われませんでした。イエスを高く上げられたのは神であり、イエスご自身ではありません。教会は、高く、偉大な教会になろうとせず、イエスのようにへりくだり、人々に仕える良い教会を目指すべきなのです。

クリスチャンは、キリストに対する教理を信じる(believe)ことで満足せず、キリストにとどまり、キリストのようになる(be)ことへと進み出るべきです。良い牧者であられるキリストとともに良い行いをする人々として、また、健全な良心を持った巡礼者として歩むのです。イエスも、山上の教えの中で、クリスチャンの良い行いについて語っておられます。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」(マタ 5:16)。

これは、「あなたがたは地の塩……世の光です」(マタ 5:13~14)という教えの結論です。どのように「塩」となり、「光」となるのでしょうか。それは、良い行いによってです。この教えは、この世で宣教的な教会に召されたクリスチャンに与えられたものです。

宣教的な教会になるとは、この世で良い教会になるということと別のことではありません。もちろん、福音を伝えることをあきらめなさいと言っているわけでもありません。宣教的な教会とは良い教会であり、良い教会とは当然、宣教的な教会のことです。

良い教会になるために、克服しなければならない課題が二つあります。第一の課題は、世俗主義です。世俗化は、悪い文化や制度というよりも、私たち自身の内面から出てくるものです。この世は、昔から今までずっと悪いものでした。私たちのたましいを崩そうとするサタンの誘惑の前で、自分の肉の欲ががサタンの計画を完成させる道具になってはなりません。

第二の課題は、分離主義です。聖と俗の分離、霊と肉の分離、教会とこの世の分離によって、この世を神の国の視点で見られないようにするものです。自分は救われたので、汚れたこの世に関心を持つ必要はないと考え、この世に遣わされる使命を捨てることです。また、聖を、この世と隔絶して生きることだと考えます。しかし教会の使命は、福音が真理であることをこの世に現すことです。どのようにして現すことができるでしょうか。良い行いを通してです。福音は、良い行いによって証しされるべきなのです。

韓国の歴史の中で、教会による良い行いにより、社会の悪と古い慣習が改革されました。韓国の教会は、韓国社会が福音を受け入れ、1890年代から偶像崇拝と迷信の撤廃が起こるために良い影響を与えました。1894年、身分制度の廃止が発表されましたが、実現はされませんでした。これを実行したのは教会でした。男尊女卑思想に染まっている社会で、教会は女性の人権を保障し、女性教育を進めていきました。朝鮮戦争後に、多くの避難民や孤児たちの世話を熱心にしたのは、教会でした。ハンセン病の治療、結核撲滅運動、禁酒禁煙節制運動など、数多くの社会改革の中心に教会がありました。聖なる巡礼者たちの良い行いは、時代ごとに少しずつ、違うかたちで現れ、その時代に最も必要な分野で良い行いをしました。日本の歴史について詳しいことは分かりませんが、日本のクリスチャンたちも目に見えないところで良い行いをもって日本の社会を変化させてきたと確信します。

マーティン・ルーサー・キング牧師は、良きサマリア人のたとえを解説しながら、このように言っています。「強盗に襲われた人を見て、そのまま通り過ぎた祭司とレビ人が最初に問うたことは『もし私がここで立ち止まってこの人を助けたら、私はどうなるだろうか』でした。しかし、その次にその道を通った良きサマリア人は、この問いをひっくり返しました。『もし私がここで立ち止まってこの人を助けなかったら、彼はどうなるだろうか』」

「イベントとムーブメントの違いは犠牲にある」という言葉があります。教会が良い行いのための犠牲を恐れないとき、この世に聖なるムーブメントが起こるでしょう。信じているだけで終わらず、絶えずどのように実践し、どのような人になっていくかに焦点を当てて歩み、日本のクリスチャンの良い行いが神様に用いられますよう祈っています。

 

 

イ・ジェフン

米国トリニティ神学大学(修士課程)修了。

ゴードン・コンウェル神学大学(博士課程)修了。

現在、オンヌリ教会 主任牧師。

 

 

本文は、『リビングライフ STORY 2020年1月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。

 

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