ハワイでハレルヤ! 海外の日本語宣教 | |||||
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ハワイでハレルヤ! 海外の日本語宣教
中村裕二 北米ホーリネス教団 引退牧師
1997年7月、私は日本からハワイに宣教の場を移し、日本語教会の牧師になりました。ハワイは何度も訪ねたことがある所ですが、ここに遣わされるとは想像もしていませんでした。
私は20代の最後に洗礼を受けました。それ以前、音楽を生業としていたので、クリスチャンとなった初めから音楽宣教を手伝うようになりました。そして、宣教の現場の経験から神学校の学びに導かれ、卒業後は東京での教会開拓と音楽宣教の働きを進めました。
その頃、アメリカ各地の日本語教会でチャペル・コンサートをする機会がありました。神学校同窓生には海外からの献身者も多くあり、海外にある日本語教会の存在は知っていました。しかし、実際にその地を訪ねて目の当たりすると、そこに日本語を話し理解する人々、日本語を必要とする人々がいることを実感し、それは祈りとなりました。
しかし、私の日本での宣教は始まったばかりだったので、数年はそれに集中しました。そして、これからの日本での自分の働きのビジョンを確かにしていた時、「北米の日本語教会に日本語牧師が必要」との要請が耳に入ってきました。まさか自分に該当するとは考えていませんでしたが、それが現実となり、ハワイのホノルル・キリスト教会の日本語牧師となりました。
日本語を必要とする人たちがいる
100年以上の米国の日系移民の歴史の中で生まれた日本語教会は、まさに日本語を話し理解する日系移民のコミュニティとの関わりで生まれ、成長したディアスポラ教会です。それが世代を重ね、英語部が成長し、英語部が主体となる日系教会となってきました。
それゆえに、日系教会から日本語部が消える日が来ると言われたこともあります。しかし、日本語教会は初期の日本語を必要とする日系移民から、国際結婚、駐在、留学などの在留邦人、また永住者という日本語を必要とする人々の教会として継続してきました。そして今は、米国在留邦人の駐在期間の短縮や留学生数の減少があり、日本語教会の存続を危ぶむ声もあります。しかし、グローバリゼーションの時代は人の移動を容易にします。数年前の統計では、日本人の10人に1人は海外に出かけ、100人に1人が海外で暮らしています。ですから、海外での日本語の必要が消滅することはありません。今まで以上に海外で日本語を必要としている人がいます。日本語の宣教は必要です。
日本語宣教の必要
海外で信仰を持ち、あるいは求道し始めて日本に帰国する人々は、年間約1,600人に及ぶと言われています。日本基督教団の日本国内での受洗者数が年間約1,300人前後であるのを見ると、それは驚きの数字です。
また、日本人が海外で救われる確率は、日本国内の約30倍にもなると言われています。国際結婚、駐在、留学などの在留邦人、永住者が日本に住んでいる時よりも、教会を訪れる機会は多いです。そこで福音を聞き、神様の愛にふれ、クリスチャンとなる確率は高いのです。個人的印象では、海外で信仰を持った方の献身率も高いのではと感じます。
日本語宣教の未来
しかし、海外の日本語教会の存続は簡単ではありません。ハワイの歴史ある日系教会の日本語部、その多くは国内教会同様、高齢化とともにいくつも閉鎖されました。また、駐在員や学生の方のほとんどは日本に帰ります。国際結婚や若い世代の永住者は移動することが多いです。ですから、活発な教会であっても教会成長は簡単ではありません。
そして、日本に帰国した駐在員や学生の方の8割は、数年後に教会を離れてしまうとも言われています。この問題は、送り出す海外ディアスポラ教会の責任でもあり、受け入れる日本の教会とともに取り組むべき課題でもあります。海外ディアスポラ日本人教会は、教会形成教会成長という視点よりも、救われたクリスチャンを日本に派遣する使命があります。
初期の日本語教会は、日本語コミュニティをリードし、教会を成長させ、自立する教会形成が必要でした。今、日本語教会が自立して成長することは容易ではありません。しかし、日本語宣教の機会は日本国内よりも多く、逆輸入的に日本の宣教に良い影響を持ち込むことも可能でしょう。
ディアスポラ日本人教会のほとんどはユニークです。ディアスポラな海外生活はストレスも多いですが、信仰とともにみなさんに明るさがあります。礼拝スタイルに自由さがあります。そして、ディアスポラなればこそ諸教会は超教派で協力し助け合います。私たちは海外からも日本語宣教を応援しています。
中村裕二
1991年、東京聖書学院卒業。1997年、ホノルル・キリスト教会に着任。2000年~09年、ウエストオアフ・キリスト教会牧師。2009年より直腸癌のため療養。2016年より家の教会とラジオ宣教、音楽宣教セラ・プレイズ・センターの働きを開始。
本文は、『リビングライフ STORY 2020年1月』 (Duranno書院)より、抜粋したものです。